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大井神社

 

島田大祭

  帯まつり

女神様の里帰り…
三年に一度の日本三奇祭
丸帯に込めた300年の想い。

 島田(旧字:嶋田)の地名は、「吾妻鏡」と呼ばれる書物の建久元年(1190年)12月23日に源頼朝が上洛の際に島田に宿泊したことから地名としての最古の記録があります。慶長6年(1601年)江戸幕府では、徳川家康により東海道に伝馬制度と宿駅が設けられ嶋田宿ができました。島田の氏神大井神社はその昔、大井川の洪水により社が上流の川根本町大沢から流され島田の地に流れつきました。それを拾い上げた住民が祀りますが度重なる水害により各地を転々とするも「下島」と呼ばれる地から現在地に元禄2年(1689年)に落ち着き、その6年後の元禄8年(1695年)から神輿による渡御神事が始まりました、これが大井神社大祭(島田大祭)の幕開けです。御祭神は火・水・土の3体の女神様が祀られています、昔から東海道一の難所大井川を旅する人々の安全を守る信仰も厚いですが、近年では「安産」の神としても注目され、後の帯祭と関係が深くなります。

さて、島田は昔から花嫁が嫁いできたら、大井神社に安産祈願をすると晴れ着姿で街を歩くしきたりがあったようです。しかし気の毒がる人々の声が高まり、当時大井神社の神輿渡御の警護役で歩いていた大奴の原型「仮装の山伏」の太刀に女性の命であった「丸帯」を掛け代わりに島田の街を歩かせたのが現在まで続く「帯まつり」の始まりです。そこから300年間、大名行列・鹿島踊り・5台の長歌屋台による豪華絢爛行列が行われます。

 

箱根八里は馬でも越すが

         越すに越されぬ大井川

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